消費者意識の目覚め 8
当時彼らが専属契約していた、ニューヨーク・ハーレムの「コットン・クラブ」は、出演者はすべて黒人であるにもかかわらず、黒人客立ち入り禁止の白人向けの観光クラブでした。
エリントンのような音楽家でも、演奏する機会は、こういった劇場やダンスホールやアトラクションにおいてしか見出せなかったのです。
彼は表向きは白人客に娯楽を提供しながら、黒人としての尊厳を失わず、質の高い演奏や作品を残していきます。
ジャズはクレオールの音楽として出現したころから、二重構造を内包していました。
彼らはニューオーリンズの黒人街でダンス音楽を演奏しながらも、アメリカン・ニグロとは異なる芸術的プライドを組み入れようとしたのです。
1920年代になると、そういった性格は都市の黒人中産階級に引き継がれた。ジャズ演奏家の中には、フレッチャー・ヘンダーソン、ドン・レッドマン、コールマン・ホーキンス、ルイス・ラッセルといった大学出身者が名を連ねています。
1929年秋に起こった大恐慌は、アメリカ社会の底辺に生きる黒人には、ことさら深刻なダメージを与えました。
失業者は急増し、多くの音楽家や芸能人が仕事にあぶれました。
20年代の好景気にも乗じ、白人社会と黒人社会の間、コマーシャリズムと芸術志向の間で微妙なバランスを保っていたジャズは、経済的基盤の崩壊によって、新たな局面を迎えることになります。
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