ジャズにとって黄金時代であった1920年代に最も活躍したプレイヤーは、なんといっても「サッチモ」の名で人びとから愛された、ルイ・アームストロングでしょう。
1900年、ニューオーリンズの貧しい家庭に生まれたルイは、コルネットを覚えたのが少年院でしたが、それがきっかけで彼の才能が花開きました。
1922年、同郷の恩師キング・オリバーに呼ばれ、シカゴに出向きます。
強烈かつ流麗でスウィング感に満ちた彼の独創的アドリブ・プレイは、ジャズ史に偉大な足跡を残しました。
1924年から1年間、ルイは当時名門だったフレッチャー・ヘンダーソン楽団に在籍しましたが、その間に彼は、楽団のアレンジを著しく変化させてしまいました。
編曲者ドン・レッドマンは彼のトランペットにおおいに啓発され、ビッグ・バンド・アレンジの基本的スタイルを創造します。
また同楽団にいたテナー・サックスの父コールマン・ホーキンス、のちにコンボを組むことになるピアニストのアール・ハインズら、ルイに影響されたソリストの数は枚挙に暇がありません。
さらにボーカルも、メロディを崩して歌う唱法などは、ビリー・ホリデイ以下のジャズ・シンガーの手本となりました。
しかし同時に優れたエンタテイナーでもあった彼は、30年代に入ると、ユーモアとペーソス溢れるパーソナリティを前面に打ちだし、より幅広い層に愛される芸人を目指すようになっていきます。
同時期に名を挙げたデューク・エリントンは1899年にワシントンDCで生まれました。
父親はホワイトハウスの執事をしており、6歳からピアノのレッスンを受けるという、当時の黒人にしては裕福な家庭に育ち、フルバンドのピアニスト兼リーダーとして、早くから黒人の心情を絵画的とも思える独特のオーケストラ表現で描き出していました。
"イースト・セントルイス・トゥードゥル・ウー"、"ブラック・アンド・タン・ファンタジー"等、数々の傑作があります。
しかし"ジャングル・スタイル"と呼ばれた彼の手法は、むしろ白人が黒人に対して抱いている、エキゾチックな趣味を満たすための出し物として存在したのです。